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久しぶりに本屋さんへ行った。店に入るとすぐに原発関係本のコーナーが。ずいぶん沢山出ているのだなと、半分驚き、半分納得しながらどの様な本があるのか見ていると、「アララ?」堺屋太一とか野口悠紀夫、その他といった、原子力発電の専門家でもなく、また、これまでの自民党政権に関わりのあった人達が、原発後の日本社会について語っている本ばかりだ。その基本的な主張は原発保護であり、経済至上主義だ。原発災害後は、小出助教や田中優さんが書いた、脱原発を訴える本が売れていると聞いていたのだが、その様な本は何処にもない。単純に考えれば、震災後100日以上が過ぎて、原発を推進しようとしている旧支配者層が、いわゆる識者と社会的に評価されている人達を使って、脱原発に動いている社会に対して揺り戻しをかけているのだということになるのだろう。実際そうであることはあまりにも明白だ。原発災害についての東電や政府の対応や報道が事実の歪曲や秘匿を前提としていたことが次々と明らかになり、彼らの基準が国民や被災者を守ることではなく、自らの権益を如何に守るにあることを多くの人が確認したのだが、それは多くの人が、彼らの発表に対して常に懐疑の目を向けるようになったことを意味している。実際、現在では、発表されたことよりもその裏に隠されていることを敏感に感じ取って、不信感を更に強めている。その不信感をどうにかできないものかと、定石通りに、いわゆるご用有名人に都合の良いことを書き立ててもらった本が現在本屋に山積みになっていると言うことだ。この本を多くの人が手にとってなるほどと思うのだろうか。そんなことはあるまい。ただ、未だにこの様な方法で世論を誘導できると考えている人達が権力を握っていることに対する絶望感を感じる人も少なくないだろう。変わるべき時に相変わらずの風景が目の前に延々と続いていることに対する苛立ちと重苦しさは、遠くにある希望への道程の長さとあいまって、人の心と目に蓋をしてしまう。確かに、根拠のない「大丈夫」をマスコミを通じて連呼することや、隠していた絶望的な事実を小出しにしながら人の心を萎えさせていくと言う手法など、人の心を操ることに長けていることは驚くほどだ。きっとその様な専門家たちの集団が存在するのだろう。しかし、それらの手法もまた、手の内が見えるほどには古くなり、劣化している。その様な小賢しさを打ち破り、多くの人を希望を持って目覚めさせることが出来るような書を世に出したいと思う。協力いただける方ご連絡ください。

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