「うんにゃ、うんにゃ、そっちじゃね。ここに来る途中にあった両方に海が見えたところを上に行くんじゃ」
田ノ浦への道を尋ねた私に、海の町の奥さん方によく見かける帽子を被ったおばあちゃんはそう教えてくれた。道を戻ってしばらくすると確かに両側に海が見えるところに出た。どちらの海も春の光の中でうららかにたゆたっている。
しかし、車のハンドルをほとんどUターン気味にきって坂道を上ろうとすると、警備会社の服装をした人に車を止められた。「この先道が狭くて、向こうから3台ばかり来るから、ここで待っていた方が良いと思うんだ」とかなり年配の方だ。他にも3台車が止まっている。車の後ろには工事準備車とステッカーが貼ってある。待つこと5分ほどで車3台が通り過ぎ、先へと進む。10分ほど更に曲がりくねった坂道を登り下りしていく。所々に覗く、島々と海の織りなす景色が美しい。
徐々に路肩に止まっている車が増え、やがて車が数珠つなぎに停まっているところが田ノ浦海岸への入り口だった。一緒に走ってきた他の3台の車は、原発予定地を囲った柵の中へと吸い込まれて行った。私たちも空いているところを見つけて車を止めて海岸へとつづくと思われる道へと入る。途中、展望台と書いた看板があったので、もともとは展望台に続いていたのだろうが、その道は予定地の柵の中に消えていた。代わりに新しくつくったと思われる、「応援に来ていただいて有り難うございます」との案内が入り口に出ている柵沿いの道を行く。途中中国電力の立ち入り禁止の看板がいくつも立っている。道の途中に小屋があり、こちらは手書きで「私有地立ち入り禁止」と書いてある。これはどうやら途中に書いてあった団結小屋のようだ。
そこから道を海岸へと下っていくと、途中から建設予定地の様子がはっきりと見えるようになる。海岸にはたくさんの人がいるようだが、衝突や対立が起こっている様子はない。海岸へ着くと、紺の制服に身を包んの人達とその人達とは明らかに違う自由な服装の人達。そして、地本の方とすぐに分かるおばあちゃんやおばちゃんそしておじいちゃん達。違和感と緊張感の入り交じった不思議な雰囲気の中、それでもそれらの人々の向こうに広がる美しい海の景色に息をのむ。陸の方に目をやると、もとは樹木に覆われた小高い丘であったと思われる場所ではトラックが走り回り、ユンボに削られてむき出しになった斜面から土を運んでいる。そしてコンクリートで固めた道路とそれらを囲む銀色の柵。これほどの対照的な景色を目にすることも希だ。
原発については既に議論はし尽くされていると思う。結論はその廃棄物も含めて人間の現在の知恵と力では運転も処理もできないものであり、必ずや将来に禍根を残す代物であるということ。即ち、ただ現在という一時ののそれも一部の人間の利益−多くのエネルギーを必要とするのは権力者のために多くの利益を生み出そうとする大企業である−のためにその様なものをつくり、今後数百いや数千世代にわたって私たちの後を継いでいく全ての生命を絶滅の危機にさらしてしまうと分かっていることが、今現在、そこに生きてきた人々の生活を破壊しながら進行しているということだ。
今回その現場に身を運んで目の当たりにしたのは、美しいものが壊され、醜いものがつくられていると言うこと、極めて単純であり、それ故に決定的であることが不可逆的に進んでいる。海と島と水と生き物とが織りなす美しさは、36億年にわたる生命という奇跡が創りだした、人間の力など決して及ぶことがない完璧さを備えている。それは決して人間の浅はかな考えと一時の都合などによって壊してはならないものだ。壊してしまえば、二度と蘇ることはない。この透き通って清らかな水に満ちた海を壊す権利は何ものにもありはしない。どんな言い訳も通用することはない。しかも、海という、海岸という、全ての命あるものの共有の財産が分断され、あるものの利益に供され、他のものがそこに入ることさえ許されないなどと言うことは、全ての生き物に対して自然により与えられているそれぞれの生存権を危うくするものであり、この様な行為はどの国のどの様な法律を持ってしても正当化されるものではない。ただ、自ら生き、そして次の世代にその命を引き継ごうとしていくものにのみ、そこに生きる糧を得る権利が生じ、自然に抱かれる安心感の中で、人同士と、そして人と他の命との繋がりが生まれ、人間を含めて全ての生命が生きることが出来る空間が生じる。祝島のおばあちゃん達の明るさとたくましさは、その命の豊かさから生じており、大地と、そして海との揺るぎない繋がりが、この反対行動に対して正当性を付与している。この海と山の所有権を主張することが出来るのは断じて、電力会社ではない。
望むらくは、原発について真摯に考える全ての人があの現場に立つことである。ネットの上で泣き言を言っていても何も変わりはしない。万の人があの場に立つことで、大きく流れを変えることはできるのだから。