え〜い
日本は本当に元気をなくしてしまった国だなと思う。それは多分、価値観が一元化してしまった、あるいはある社会層が価値観を一元化しようとする動きにその原因がある。その典型が相撲での横綱の引退騒動であり、オリンピックでのスノーボードの選手の服装問題だろう。どちらも力士あるいは選手が行っている競技とは全く関係ないところが問題化されているのだが、共通しているのは、既存の価値観から外れる者たちに対する、言いがかり的なバッシングであり、それは既存の価値観にしがみつくことで自らの位置を守ろうとする者たちの威嚇である。スポーツや武道は、勝ち負けという明確な決着がつくところにその特徴と魅力がある。そしてそれに関わるものは勝つためにまさしく身を削るほどの努力をする。日常の全ての時間を勝つための修練に過ごすことで、初めて望む結果が得られる。その過程で余分なもの−怠惰や過剰−は、削ぎ落とされていく。そのようなものが付いているうちは決して勝つことはできないだろう。そのような状況の中に身を置いていない者たちの持っている常識も彼らにとっては必要がないものだろう。簡単に言えば、飲むことも食べることも常識の中にあるうちにはその競技において人を超え、それ故に人を感動させる行為を行うことなどできないということだ。世界一を目指す人たちは、まさしく非常識と言える日常を過ごすことで目的地へと進んでいるのだ。それは、ブクブクとした体と心で、人を批判することで自らの怠惰を誤魔化し、アイデンティティーを築こうとしている人が決して入ることのない領域だろう。はみ出すことのできる者だけが、新しい時代を築くことができる。それは、そのはみ出した本人が望むことというよりは、はみ出したところから見えてくる新しい景色に多くの人が気づくことによって起こることだ。違っていることを排斥するのではなく、それを認め、それによって起こる自らの変化から、未来を予感すること。未来の変化への希望だけが、閉塞した現状を打ち破るエネルギーとなる。変化を恐れるのではなく、積極的に起こしていくことが、変化を自らの望む方向へと導いていく唯一の方法でもある。