2010年1月アーカイブ

変わるべき時

 最初はテレビだったと思う。コンピューター特にインターネットの登場以来,選択の余地が少なく,一方向的でしかないテレビが時代から離れて行くのを感じた。それは多分、テレビとコンピューターの機器としての違いというよりは寧ろ,それを拠り所としている人々の考え方の違いから生じているものであり,テレビというメディアを支配し,あるいは寄りかかっていた人や企業の傲慢な古さのためだった。既に人は変化を感じて,それに併せて,意識的、無意識的に、選択や行動の基準を変えており,それはメディアだけではなく,食べ物や服装ばかりでなく,政治や経済の分野にまで及んでいる。ただ、古い世界で権力を弄んできた政治家や,官僚,そしてメディアが自らの権益を守ろうとしてか、あるいは変わる事を拒んでか,それとも未だに変わる事を認めることができないためか,旧態依然としての言動を繰り返している。先の選挙で民主党が勝利したのは国民に支持されたからではない。国民が望んだのは変わる事であり,その変化を民主党に託したに過ぎない。しかし、元々一つであった自民党と民主党がそれほど変わっている訳もなく、選挙のときに変化を感じさせた政策のほとんどは、ほとんど実行される見通しがなくなってしまった。しかも、それを報じるメディアにも全く姿勢の変化はない。正義の味方を演じているようでいて,結局は権力の一部として、批判というガス抜きを行っている。国民が望んでいるのはこれら全ての変化である。そしてこの変化だけが、希望ある未来へと続くことを感じている。先ずは約束を守るという単純な事が、最も期待される変化だろう。公約はそれを行うときに起こる混乱や抵抗がどうであれ,一度は実施してみる。その約束が守られる事から,人の間の不信を前提とした関係も変わるだろう。マスコミも批判ではなく,提案の媒体としての機能を持ち始めるべきときだろう。しかも、提案するのは政府や企業ではなく国民の側だ。すなわち国民の意見や生活からの提案の場であれば良い。行政にしても、政治家ではなく,国民の直接の声により忠実に反応するという本来の役割に戻るべきときに来ている。変化は既に予兆ではなく現実となっている。変化を見ない振りをするのではなく、それに着実に対処する事が変化の後に来る時代における夫々の地位を決定する事を、危機感を持って認識しなければならない。