スウェーデンが原発の廃止から推進に舵を切ったとの報道があった。その報道の真偽はわからぬが、地球全体規模での変革が徐々に形を成してきているように思われる。それは現在2つの方向を示している。一つは集権化であり、一つは分散化だ。原発はその安全性からも大きな問題があるが、莫大な投資と高い技術が必要となる集権型の施設で、国や大企業による支配の道具となるものだ。エネルギー(電気)という生活に不可欠なものを、個人や地域では賄うことができない設備によってしか供給できないものとしてしまうことで、国民一人一人の生存の可否を決定する構造が出来上がり、国による国民の支配は容易になる。各地にいつの間にか増えている監視カメラなども集権化の道具の一つに他ならない。現在討議され始めている一院制や、司法決定に対する行政府の対処の仕方などにも集権化を読み取ることができる。国民のためではなく、国のために存在する国家がその権力を巨大化させて行った先にあるのは国内的には国民の自由の剥奪と経済的搾取(消費税もその一形態としか思えない)であり、外的には国際的な支配構造の確立を目指すもの同士の対立であることは先の戦争が明確に示している。
もう一つの方向性である分散化とは、コミュニティあるいは地域での自立だ。エネルギーも経済も地域を基盤として問題解決をして行く。そこにはそれに関わる人々すべての参加が行われるので、支配構造そのものが存在し得ない。
これらのどちらの方向にベクトルが動いて行くのかはこれからの人間の在り方をそのものを決定して行くだろう。そして、それを決定するのは間違いなく個人である。権力に依存することにの楽さ(その裏には奴隷としての空虚さがあるのだが)に慣れてしまい、それ以外の選択を行うことのできるものが極めて少ない現状において、集権化に進んでしまう確率は高い。個として生きられる人間、そしてそれを支える、社会的なシステムの構築がなければ、混乱のうちに、引き返すことができない地点までいつの間にか進んでしまっていることになりまねまい。混乱の今こそ個としての自らのの在り方を考え、自由と自立のために行動しなければならない。権力を持つものそれに縋るものが提示する安易な選択肢に対して個人それぞれが自らの経験と知恵から培った様々な選択肢を共有し、そこから、本当にすべての人々に取って最良な方向と方法と技術を作り出していくことだ。
もう一つの方向性である分散化とは、コミュニティあるいは地域での自立だ。エネルギーも経済も地域を基盤として問題解決をして行く。そこにはそれに関わる人々すべての参加が行われるので、支配構造そのものが存在し得ない。
これらのどちらの方向にベクトルが動いて行くのかはこれからの人間の在り方をそのものを決定して行くだろう。そして、それを決定するのは間違いなく個人である。権力に依存することにの楽さ(その裏には奴隷としての空虚さがあるのだが)に慣れてしまい、それ以外の選択を行うことのできるものが極めて少ない現状において、集権化に進んでしまう確率は高い。個として生きられる人間、そしてそれを支える、社会的なシステムの構築がなければ、混乱のうちに、引き返すことができない地点までいつの間にか進んでしまっていることになりまねまい。混乱の今こそ個としての自らのの在り方を考え、自由と自立のために行動しなければならない。権力を持つものそれに縋るものが提示する安易な選択肢に対して個人それぞれが自らの経験と知恵から培った様々な選択肢を共有し、そこから、本当にすべての人々に取って最良な方向と方法と技術を作り出していくことだ。