2008年9月アーカイブ

福田首相が辞任したとのこと。誰が首相であっても同じだと言ってしまうこともできるのだろうが、タイや韓国の様子を見ても、政治が非常に重要な役割を果たす時期に来ていることが顕著になってきている。現状の経済体制が、実は様々な問題を生み出していることが明らかになり、経済を無政の拠り所とすることができなくなったということだ。環境問題や所得の格差と物価の高騰、資源の枯渇、時代が生み出している様々な犯罪、日常化した戦争。どれをとってもこれから生きて行くものたちが正面から取り組まなくてはならない深く重い問題ばかりだ。そして、それらの問題を解決する能力を持った政治家が現在の政治の枠組みの中に存在していないことを、既に私たちの感性は読み取っている。むしろこれからの世界についてのヴィジョンを持ち、それを実現するために私を捨てて行動できる人たちは野にいる。既に機能していない西洋型民主主義の中では新しい政治の在り方そのものから議論し、それを構築して行くことが必須であり、それを行うための私たち一人一人の社会や人間に対する基本的な理解を深めて行くことが前提となるが、既にそのためだけに時間をかけている余裕はないように思われる。政治を忘れたところで硬直化してしまった現在の政党政治に期待をかけることは水をかぶってしまった炭にマッチで火をつけるような徒労にすぎないように思われるが、まず、自分たちで社会を変えるのだという明確な意思と、未来のために今すべきことがなんであるのかというとした判断基準を持って、政治に関わり、その後に政治の在り方そのものを変える取り組みに入るべきではないかと思う。そのために新しい政党作りを行うのも面白いかもしれない。まずは各地で地道に活動しているフーコーの言う新しい知識人−自明性や普遍性を破壊するものとしての知識人。現在の惰性と桎梏の中で、その弱点、開示、骨組みを評定しそれらを示して見せる知識人。絶えず自らの位置を移動し、現在にあまりにも注意を払っているために明日自分が正確に何処にいて何を考えているかということを知ることのないような知識人。自信を通過点として、革命が果たして労力に値するものかどうかと問う知識人。そうした問いに答えるために自らの生を危険に晒すことも辞さないような知識人−が出会う機会をつくり、その上で何が可能であるかを、皆の感性を持って探り、そこに見えてきたものをひとつひとつ実現して行くことから始めて見る。人の思いは様々であり、それが一つの政党という形に集約して行くという姿を私自身はイメージできないでいるのだが、今のままでは生活も未来も希望がないという思いはきっと驚くほど多くの人たちに共有されている。まずはそこから始める。後は時代が作って行ってくれるだろう。