つながりと乖離 「今日最後のヒューマンチェーンです。皆さん手をつなぎましょう。」の呼びかけに左隣の女性はそれまではめていた手袋を取り私の左手と手をつないだ。右の手にはフランスからの留学生の手のぬくもりがあった。突然降り出した雨の中で1万人の人たちが手を繋いだ。目の前には薄暗い空に国会議事堂が黒い陰を映し出していた。その前には沢山の警察官が並び、警察の監視車が人の輪を見下ろしていた。人の手はそれでも、アスファルトの上を長く歩いて来て固く棒のようになった足の疲れをいやすぬくもりを1万人のぬくもりを伝えてくれていた。
日比谷公演から東電前を抜け、霞ヶ関の官庁街を通って日比谷公園まで戻るおよそ2時間程の間、この一年にあったことを振り返りながら歩いた。それは日本中でいや世界中で多くの人々の胸の中に自然と沸き起こったことだっただろう。多くの命が失われ、多くの町が破壊され、多くの人々の生活が失われ、そして、地球上の全ての日常が奪われた1年前のこの日から、全ての人々の中であたらしいよりどころを探す、行き先さえも分からない旅は始まったのだ。一緒に歩いている人に話しかけてみる。「今日どうして参加されたのですか」。一人一人の答えの表現の仕方は違っていても「自分に出来ることをしたかった。未来のために今私に出来ることを、私の気持ちを示したかった」との想いは全ての人の胸の中にあった。
メガフォンを渡され、何をいうべきなのかすぐには浮かんでこなかった。ゆっくりとわき上がって来た言葉は「大地と、水と、空気を取り戻したい」という想いだった。それをそのまま言葉にすると、周りを歩いていた人たちから「よかったです」と。想いは同じだという安心感が身体の中で一つの力になるのを感じた。
黒く聳える国会の中には議員など誰もいない。国立劇場などという政治とは関係のない場所で国民の参加もないところで、儀式としての慰霊の催しが行われて、政治家のほとんどはそちらに行っていたことは後で知った。東京電力も、財務省も、環境省も、一部電気がついている部屋はあったが、全て門を閉ざしてひっそりとしていた。
国民の声を聞くことのない政治家と官僚。彼らが決定しようとしている未来に私たちの声が反映されることはない。しかし、彼らの間違いの責任を負わされ、その被害の中で苦しんで生きることを余儀なくされるのは私たちだ。彼らが多くの情報を握りつぶしたことで私たちの命や健康に及ぶ被害がどれほど大きくなったかが明らかになってくるのはこれからだろう。
つないだ手は温かかった、今感じる事が出来る希望はそこにしかない。皆で手をつなごう。
今年の冬は長く寒かった。でも今朝畑ではカジカが鳴き始めていた。春を告げる透明な鳴き声は妖精の囁きのよう。凍えていた心も溶かしてくれる。
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